はたまた虚無か

半分は(多分)嘘です。もう半分の半分も(恐らく)嘘です。あとの残りは、おまかせします。(主食はゆでたまごです

第8夜 リラックマの男

ここ数日「住む」ということに思いを馳せています。
東京に住んできた自分が、東京に居続ける理由。何のため、誰のため、何時のため。
その理由を探す場所もまた、東京なのかもしれません。

 

以下、フィクションです。

 

台湾(Taiwan)

ゲイにとってこれ以上に甘美な響きを持った地名があるだろうか。

人は優しいと聞くし、ご飯は美味しくそして男は逞しい。

 

そんな理想郷への期待だけが高まる大学3年の夏休み真っ盛りな頃、

彼と出会った。

 

普段お酒の場には決して足を踏み入れない僕なのだが(なにせ誰もが呆れるくらいの下戸である)、その日ふらっと立ち寄った二丁目のクラブで目が合ったのが始まりであった。昔、松田聖子が歯科医と結婚したキメてを「ビビビ」ときたからなどと言っていたが、この時の僕らの視線にもこれに似た効果音がついていたかも知れない。

 

ひとしきりはしゃいでクラブを後にし、東新宿に立ち並ぶホテルのひとつに泊まっていた彼の部屋でさらに汗を流し、そしてその汗をシャワーで洗い流した。

話を聞くと、今回は一人旅であり、職業は音楽関係のようだった。日本語にしてもカタカナで表される自由な職業の彼は、30代とは思えないほど天真爛漫で、だからこそ色々な意味で新鮮な時間を過ごせた。

 

次の日も、暇な大学生であった僕は彼のガイドとして同行した。

浅草、皇居、渋谷、そして代官山へ。

今思うとなんとも統一感のないチョイスである。代官山で僕が髪を切るなんてイベントも挟みつつ、戻ったら彼に「cute」みたいな事もいわれつつ、である。

 

不思議なことに、どんな会話をしたのかはほとんど覚えていない。

遊び方を知らない大学生の案内ではあったが、それでも彼は心の底から楽しんでくれていたと思う。その証拠に、その日の最後に彼はリラックマをかたどった厚手のハンカチをプレゼントしてくれた。どうやら美容室に行っている間に買ってくれていたようである。「君に似ているからプレゼントしたくなったよ」と言いつつ、そんな可愛らしすぎる贈り物と同じものを、彼も買っていた。(リラックマのハンカチで汗を拭う異国の自由人を見ていると、なんだかこういうのも悪くないなと思ったのを記憶している。)

 

それから数日後、彼の帰国の前日。

リラックマの件以来、会うことはなかったのだが、LINEや電話でのやりとりは続いていた。そんな中、帰る前に電話がしたいと改まって言われた。

なんとなく、不穏な予感を感じつつも彼に電話をかけると、やはりいつもの天真爛漫な彼ではなく、どことなく泣きそうな表情をしてる雰囲気さえ感じた。

 

”Be my boyfriend.”

こんな美しく完結した告白の言葉があるのか。他人事のようにその言葉を受け止めた僕は、もちろん即答は出来なかった。往々にして、即答できない答えが相手の意に適う事は少ない。そんなこんなで口ごもる僕に、彼は続けた。

 

「君と過ごした楽しい時間の分だけ僕は傷つく事になるんだ」「僕らは運命で出会ったものだと君は思っていなかったんだね」「一人旅の外国人なら誰でもこんな親切をするのか」「付き合ってくれないなら君の代わりを見つける為のいいお店を教えてくれ」

彼が純粋な一人の人間である事を認識していなかったわけではないが、憧れの地からの旅行者と過ごす非日常感に舞い上がってしまっていた自分を後悔した。それからは時間を巻き戻すように冷静になっていく僕とは対照的に、彼の言葉は熱を絶やさなかった。

 

一晩だけ時間が欲しい。そう伝えた僕に対し「もし気持ちに応えてくれるなら、空港まで見送りに来てくれ」と言う彼の言葉でその電話は終わった。本音を言えばこの時点で答えは出ていたに等しいのだが、彼をこれ以上傷つけたくない、いや、彼を傷つけたという責任から逃れたい保身的感情から、こんな交渉に出た。

 

 

結局、彼は誰にも見送られる事なく帰国したはずである。

彼の楽しい日本旅行の始まりを見送ったのと同じ景色が、

”理想郷”へ舞い戻った彼を優しく出迎えてくれる事を切に願った。

 

※しばらくして、何度か日本にきた彼と連絡を取る機会があった。それでも会うことはなかったのだが、そこは自由人。無料の情報窓口として僕を利用するくらいの元気を取り戻してくれている事がわかって安心した次第である。