はたまた虚無か

半分は(多分)嘘です。もう半分の半分も(恐らく)嘘です。あとの残りは、おまかせします。(主食はゆでたまごです

第6夜 レベル40の男

コレを始めた目的は、とりあえず「書く」こと、そして目標は「書き続ける」こと。 それ以外にはこだわりがないと言ってもいいのではないでしょうか。

 

以下、フィクションです。

 

しょこたんが年齢のことを指して「レベルXX」と言うことがあるが、ここでは単なる40歳の男の事ではない。切り上げ(四捨五入ではなく、だ)すれば40歳と言えなくもないのだが、この”レベル”が、年齢よりももっと記号として確立された意味を持つものであり、それほどのレベルを手にしているという事実が、彼の市場価値を含むステータスの説明になると思う。

 

そんなレベル40の彼に、僕の方からメッセージを送るなんて勝算のない特攻を仕掛けた覚えはないのだが、かといってそんなエリートな数字を掲げた彼の目に、レベル9、戦闘力4分の1以下の僕が映っていた事の方が奇跡的に思える。

とりあえず、そんな無鉄砲、もしくは奇跡のいずれかから、出会いが始まった。(はずである)

 

そうは言っても、僕と彼が時間を共有したのは、彼の最寄り駅から彼の住む部屋までの道のりと、その部屋の中だけであり、他の場所においては、地球上のどこであってもその奇跡は観測されなかった。(もちろん、一連の出来事を奇跡だと認識しているのは僕の側での話であって、彼から見ればいつもとそう変わらないやり取りの一つであっただろうと思う。)

目的のはっきりした出会いであるからこそ、その目的が果たされた後の別れの挨拶は、まじりっけのない「ありがとう」で締められるのだった。「さよなら」でも「また今度」でもなく「ありがとう」で消費される出会いというのも、単なる感謝と捉えれば聞こえは良いが、それ以外に適切な言葉が無い故、消去法的に捻り出されているという現実を考えるにつけ、やはり日常という枠の中では、相対的には異常な位置に置かれる事象であろう事は、頭の片隅で忘れてはならない事だと僕は考えている。

 

彼がそれまでにどれだけ華やかな経験をしていたか、市場価値という観点では何段も層の違う僕からは想像もつかないが、それでもこの地球のどこかで喜怒哀楽を繰り返しながら時を過ごして来た事は確かであり、僕との一幕もその一部として消費されたにすぎないのである。そんな事を考えながら、”レベル”の違う存在の満たされなさを許容し続けてきたであろう駅までの道を、独りで歩いた。