はたまた虚無か

半分は(多分)嘘です。もう半分の半分も(恐らく)嘘です。あとの残りは、おまかせします。(主食はゆでたまごです

影響受けたものでも書きましょうか〜『喜嶋先生の静かな世界』〜

完全に書評です。(唐突)

僕の愛して止まない森博嗣先生の作品『喜嶋先生の静かな世界』。文庫版もあります。(ちなみに解説はあの養老先生。)

 

やっぱりいいですね。もう不動の一位ですこの本は。いいんです。

なにが面白いのか、いや、面白いのかさえわからないし、どんな話か詳細に伝えたところで、読んでもらわなければその素晴らしさは理解されないと思う。ただ一人の学生と、一人の研究者のやりとりを淡々と描かれた作品だということ。

特に山場があるわけでもないし、けれども寝る間を惜しむ程続きが気になるというわけでもない。ドラマ化なんか絶対向いていない、読み始めてからの鮮度が持ち味とでも言える作品ではないでしょうか。(ちなみに僕の持論として、書籍はレジに持っていく瞬間が一番読みたい気持ちが強いときで、それからは日ごとに興味を失っていく足の速いナマモノだというのがある。蛇足ですが。)

そんな中、唯一主人公と先生が一番輝いているシーンは、終盤ふと思いついた質問を先生に聞きにいった際、いつもはさらりと答える先生が珍しく頭を抱えてしまう所から。これは先生も数年前に引っかかっていた問題であり、それからすぐに二人でそれを検証してみるのである。その間なんと8時間。普通の人なら一つの問題と向き合うには気の遠い時間であるとは思うが、これが学問の深遠さ、人間の持ちうる誠意の尊さかと思わせてくれる、最高にクールな描写だと僕は思えた。(そう、思えた。これはとても喜ばしいほど幸運だなと思う。)

恐らく、森先生の大学人としての経験が至る所に活かされていると思うし、一部ではそのまま自伝として読み取っても差し支えないのではないかという箇所もある。でないとこんなマイナな作品は書けないであろう。

とても薄っぺらい書評だが、読み終えた記録を書かずにはいられなくなったので一気に書いてしまった(ものである)。人物たちの誠実さと優しさに、幼少に読んだ絵本の様な余韻を感じつつ、この作品に感謝を述べた次第。

※この文章は100%リサイクルです。

第7夜 能の男

楽譜通りの歌が必ずしも美しい歌かっていうとそうではないと思うんんですが、それと同じで文法的に優れてるからといって美しい文かっていうとやっぱ違う。それでもそれでも、美しい文章ってあるんですよねー。はあうっとり。

 

以下、フィクションです。

 

鬼才。

そんな言葉が似合う30歳だった。

ブルーのハーフパンツにグレーのTシャツ。

恥ずかしい事に同じ組み合わせで向かってしまった僕を見て

「なんなら靴も揃えようか。」確かに彼はそう言ったはず。

 

会うよりも1年前、僕は一度メッセージを頂いていたのだが

その時はなにがあったか返信しそびれてしまっていた。

「返信くれて良かったよ。一年待ったけど。」

渋谷区に住む人から時折にじみ出る

そこはかとないApple製品の香りは彼からもした。

 

そんな洗練された彼と歩いた神楽坂は

一歩一歩が目的地のようで

地図を見るなんて野暮なことはしたくなかった。

それも繁華街が恋しくなって乗った

高場馬場へと向かうバスの中

僕は彼の話に耳を傾け

彼は僕の左半身に身体を傾け。

 

結局駅が僕らの目的地となり

バスの中で話していた

”能”を見に行こうと約束して

互いに別の電車へ乗った。

口の中では、彼の飲んでいた青りんごソーダの味がした。

第6夜 レベル40の男

コレを始めた目的は、とりあえず「書く」こと、そして目標は「書き続ける」こと。 それ以外にはこだわりがないと言ってもいいのではないでしょうか。

 

以下、フィクションです。

 

しょこたんが年齢のことを指して「レベルXX」と言うことがあるが、ここでは単なる40歳の男の事ではない。切り上げ(四捨五入ではなく、だ)すれば40歳と言えなくもないのだが、この”レベル”が、年齢よりももっと記号として確立された意味を持つものであり、それほどのレベルを手にしているという事実が、彼の市場価値を含むステータスの説明になると思う。

 

そんなレベル40の彼に、僕の方からメッセージを送るなんて勝算のない特攻を仕掛けた覚えはないのだが、かといってそんなエリートな数字を掲げた彼の目に、レベル9、戦闘力4分の1以下の僕が映っていた事の方が奇跡的に思える。

とりあえず、そんな無鉄砲、もしくは奇跡のいずれかから、出会いが始まった。(はずである)

 

そうは言っても、僕と彼が時間を共有したのは、彼の最寄り駅から彼の住む部屋までの道のりと、その部屋の中だけであり、他の場所においては、地球上のどこであってもその奇跡は観測されなかった。(もちろん、一連の出来事を奇跡だと認識しているのは僕の側での話であって、彼から見ればいつもとそう変わらないやり取りの一つであっただろうと思う。)

目的のはっきりした出会いであるからこそ、その目的が果たされた後の別れの挨拶は、まじりっけのない「ありがとう」で締められるのだった。「さよなら」でも「また今度」でもなく「ありがとう」で消費される出会いというのも、単なる感謝と捉えれば聞こえは良いが、それ以外に適切な言葉が無い故、消去法的に捻り出されているという現実を考えるにつけ、やはり日常という枠の中では、相対的には異常な位置に置かれる事象であろう事は、頭の片隅で忘れてはならない事だと僕は考えている。

 

彼がそれまでにどれだけ華やかな経験をしていたか、市場価値という観点では何段も層の違う僕からは想像もつかないが、それでもこの地球のどこかで喜怒哀楽を繰り返しながら時を過ごして来た事は確かであり、僕との一幕もその一部として消費されたにすぎないのである。そんな事を考えながら、”レベル”の違う存在の満たされなさを許容し続けてきたであろう駅までの道を、独りで歩いた。

第5夜 クリスマス映画の男

この時間に帰ってきて、まずやることがこの血迷いブログって、終わってますねー。

はてなぶろぐとは上手く言ったもので、対象となる層が一番はてなですもんね。

 

以下、フィクションです。

 

赤、桃、緑なるものまで出てきた某アプリ群も、初めはみんな「黄色」から広まっていった。都心、地方問わずアプリでの出会いがスタンダードとなった今では単なる外人図鑑と成り果てたこのツールも、当時はそれなりに賑わっていた。(他に選択肢が無かったからなのだが。)

写真やボタンを極限まで排除し、およそ脳では処理しきれない程のファーストインプレッション合戦が繰り広げられる中、近所に住む典型的なアジアのイケメン風30代のお眼鏡にかない、その日のうちに彼の部屋へ遊びに行くことになった。

 

目的地は本当に近所のマンション地帯で、自転車がメインの移動手段であった僕でも5分少しで辿りつけた。緊張しながらも部屋につけば、いかにも男の一人暮らし的なシンプルなインテリアに囲まれたソファに、部屋着の彼が紳士的に向かえ入れてくれた。

出身はマレーシアであること。向こうの大学で化学を学んでいたこと。そして今は日本で定職に就いていること。そんな事をひとしきり聞いた後、彼が観ようと予定していた映画を一緒に観ることになった。(実際はもっと詳細に身の上を話してくれていたはずなのだが、僕の英語力ではこれ以上聞き取れなかった。)

 

映画の内容は、子どもと二人で暮らす父親宛てに、クリスマスのラジオ放送を通じて届けられる亡き妻からのメッセージ、的な所謂感動ストーリーものであったと思う。

その時生まれて初めて英語字幕で洋画を観たのだけれど、隣りに異国の男前がいるシチュエーションも手伝って、特別に普段と違ったことをする感覚もなく、無事にエンディングを迎える事ができた。(そう、心身ともに”無事に”観終わってしまったのだ。)

 

深夜からのバイトまでまだ時間はあったものの、映画鑑賞という一大イベントを終えた我々にとっての選択肢はそうあるはずもなく、まるで当初から映画を観る約束で訪問したかのような流れで、彼に一言礼を告げて僕は部屋を出た。

帰りがけ、ふと開いた「黄色」のそれには、受信メッセージを示す1の数字が表示されていた。受信時間は、その時からほんの3分ほど前。

 

”僕は恥ずかしがり屋だから言えなかったけど、君ともっと一緒に居たかった”

 

そう書いてあるように見えた英語は、何度確認しても、やはりそう書いてあった。

普段の何倍も推敲を重ねながら、部屋に戻ってもいいか確認するメッセージをやっと送信したのは、彼の居る5階へと向かって上昇するエレベータの中での出来事であった。

 

 

第4夜 花火の男

手持ちの動画の中でも選抜組に、印として「★」とかつけたりしますよね。ついでに簡単なコメントとかつけたりして。星の巡りと共に自分の好みも移り変わっていったりして。

 

以下、フィクションです。

 

「全然美味しくなさそうに食べるね」

彼との1日は、必ずこの一言と共に思い出される。何気なく放たれた一言ではあるけれど、それは今でも時折リフレインされる程度の圧を持って、横浜中華街のチャーハンと一緒に僕の体内に取り込まれたようである。口ではそんなことを言っていたくせに、その不満気に見えたはずの食事風景を、彼は写真に撮っていたからまた不思議だ。(残念ながらその写真を僕は見なかったので、自分がどんな顔をしながら食事しているのか、未だに分からない。)

 

2つ年上で、音楽が好きな人だったはずなのだが、事前にやりとりしていたメッセージとは裏腹に、実際会った際には全くと言っていいほどその話をしなかった。まあ、プロフィールに書くほどの趣味であるくらいなのだ。初対面特有の、手の内を探り合うような間柄に流れる空気では、確かにふさわしくない話題だったのかもしれない。(それでも花火大会の開会を待つ間、彼のiPhoneは大体のリクエストに応えてくれた。)

 

経験者ならわかって頂けるだろう。横浜湾岸でのデートでは、気づいたらかなりの距離を歩くことになる。それだけの長い時間、肩を並べていれば、何かの気の迷いでちょっかいを出したくもなるのかも知れない。実際、彼からいたずらっぽく手を繋いでくることは何度もあったし、もちろん僕はその回数だけそれを(今思えば)半分残念に思いながら振り払っていた。

 

その延長での花火大会である。それも横浜みなとみらいでの。

二人がどうにもならずに帰る方が不自然な雰囲気がそこにはあったはずなのだが、結局その日は、舞い上がった彼の、これまたイタズラっぽいキスの注文を断ったところで、大桟橋を後にした。

勢いにまかせて1回くらいしちゃえば良かったなあ、などという後悔が無いといえば嘘になる。この時、僕がもう少し子供であれば良かったのか、もう少し大人であれば良かったのか、その正解も、未だに分からない。

 

 

第3話 イケメンとアート

やっと無題じゃなくなったかと思ったら、これまた節操ないことですね。

 

とにかく彼はイケメンであった。それは僕が当時流行っていたゲイSNS上にある彼の写真を集めてはうっとりしていた事実から理解して貰えると思う。

大学生、東北出身、中肉中背でちょっと馬面だがキレイ系。

当時大学生になって一人暮らしをして、初めて本格的に自分のパソコンを持った僕は、前にも増して出会い探しに励んでいた。今思うと当時はそれほど性的な行為に対する欲もなく、だからこそジムに通うなんて発想は雲の上、なかなか要注意な人物であったと思う。(今がそうではない、という意味でもない。)

 

その中で、某掲示板に貼られた横顔を見た瞬間、気持ちとは裏腹に出来るだけ平静を装った文面でメールを送り、それから何度か文章や電話でのやり取りを重ねることに成功していた。

初めて彼に会ったのは、それから数ヶ月後であり、それもその間に猛烈会いたいアピールをしていた自分を見かねた彼が映画に誘ってくれたのがきっかけであった。

 

今思うとこれはアリかナシかで言えば完全に「ナシ」側からの接触であったのだけど、当時の僕はそんな基準もお構いなしの若さがあったし、なにより憧れのイケメンに会えるだけでそうとう舞い上がっていた。当の映画も、東京国際LGBTなんとかのひとつであって、良いチョイスだったのである。

 

見終わった後に彼独自の解釈を聞くにつけ、今まで関わった事のない人種と関わっていることへの一方的な高揚感を感じ、気づけば彼がその後1人で行こうと予定していた森美術館へ同行を申し出ていた。(無論、その時点で1日の前半部分しか誘われていない事実の意味に、僕が気づいているはずがない)

 

美術館を出る時に「気に入った展示のポストカードを買う事にしている」とイケメンの口から聞いて思わず自分も買ったのは言うまでもないし、なんなら帰ってからアパートの殺風景な部屋に、その訳の分からない現代アートポストカードを神棚のような位置に飾った。(もはや教祖的存在だったのかもしれない)

 

そんな彼の歳を追い越して思うのは、あの人も大学で初めて関東に出てきて、美術のことなんかよくわかんないけど、とりあえず華やかな「アート」の世界にあこがれを持っている、という内の一人だったんだろうなあ、という事。それでも自分の人生に芸術というベクトルを放り込んでくれた彼には感謝しているし、その後も軽いホームパーティー的なものにも誘ってくれて、なんだか面白い人脈も紹介してくれた。紛れも無く彼は僕の中のアート(と称されている概念群)の原風景を形作ってくれた人物である。

 

そんなんで、ゲイの世界には比較的遅れて入った彼も、その頃には僕より数段上手くその中での理想を渡り歩いていたように思う。それは彼に外国人の彼氏が出来たことや、趣味の美術館巡りに拍車がかかっていたことからも見て取れた。

 

今ではもう関わりの無いうちの一人ではあるのだけど、あのイケメンと街ですれちがったら、やっぱり二拍一礼くらいしたくなってしまうかもしれない。

 

※余談だが、美術館を学生割引で入場する時に盗み見た国立大学の学生証は、後に僕も4年間同じものを携帯するのであった。それを手にした時の僕の妙な征服感を、彼はもちろん知らないであろう。

 

 

第2夜 無題

1日1夜ペースじゃないのかって?知りませんね。

以下、架空の出来事だそうです。

 

パケ死、なる言葉が平然と飛び交っていた200X年代、

やっぱりケータイ世代だった僕は、チャットルームなるものにハマっていた。

 

ハンドルネームと簡単なプロフィールがあれば会話できる辺りはTwitterと変わりない。

ただ、当時は今のように画像ありきで会話をするような世界ではなく、容姿に自信のある方が時々プロフィールに晒しているくらいで、純粋に会話自体を楽しんでいたと思う。(もちろん色気のある出会いを皆求めてはいた。そこはゲイだ。)

その中で、同じ高校生で同じ関東に住むゲイの子と親しくなり、新宿で会う約束をした。

 

結論から言うと、その後会うことは無い相手であった。

とりあえず入ったネットカフェで、やっぱりとりあえず一連の流れ(便利な言葉である)を済ませ、「チャットのみんなには言えない事しちゃったね」なんて言葉を吐かせ、その後は2人で慣れないゲイバーへ行った。

 

そこがゲイバーであることと、数時間前にお互いの性処理を済ませている事を除けば、高校生特有の他愛の無い世間話をして、変にテンションを高めて周囲の人に絡んだり、ケータイの充電を求めて色んな場所をさまよったりもした。行きずりの中国人に、「やらしいことはNGだけど今夜ホテルに泊めて」と2人の通う高校では教えてないであろう英会話を繰り広げたりもした。(結局その人の部屋にはいかなかった)

 

話を変えてもいいだろうか。

自慢ではないが、人生に必要のない細事に関しての記憶力は僕の長所のひとつである。

それでもここまで抽象的な出来事しか思い出せない。。。。限界限界。

 

※会った時の出来事とは関係ないが、彼は大変移り気な方だった。当初は「医者になる」といい、次に話した時は「会計士を目指している」、数年前にSNSで見かけた時は、アパレルで働きながら、なんであったか医療関係の資格を目指している風だった。なんであれなりたい私になっていて欲しい。(嘘ではない)